2017年11月10日金曜日

ELEGIAの詩と音楽(前編)

企画記事第2弾です。今回は第3ステージ、『ア・カペラ混声合唱のための ELEGIA』(作曲:木下牧子、作詞:北園克衛)を取り上げ、その魅力について正指揮者に語ってもらいました!


第3ステージにて演奏する『ア・カペラ混声合唱のための ELEGIA』に関して、詩の北園克衛氏の特徴に触れつつ、個人的な見解を交えながら書きたいと思います。

北園克衛氏は主にモダニズムの中で活躍した前衛詩人であり、「実験」として感覚的な作品をいくつも発表しました。1959年に発表された「単調な空間」はその最たる例と言えます。

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1.
白い四角
のなか
の白い四角
のなか
の黒い四角
のなか
の黒い四角
のなか
の黄色い四角
のなか
の黄色い四角
のなか
の白い四角
のなか
の白い四角


2.

の中の白
の中の黒
の中の黒
の中の黄
の中の黄
の中の白
の中の白


3.

の三角
の髭
のガラス


の三角
の馬
のパラソル


の三角
の煙

ビルディング


の三角
の星

ハンカチイフ


4.
白い四角
のなか
の白い四角
のなか
の白い四角
のなか
の白い四角
のなか
の白い四角

~~~

一見むつかしく、よく分かりません。
北園氏は、日本におけるコンクリート・ポエトリー(意味性を排除し形式や視覚的効果に着目した詩)の先駆者でした。また、その後には写真を詩そのものとして用いる「プラスティック・ポエム」を提唱しています。すなわち、ヴィジュアル的な感覚を重視しています。

この作品に限らず、改行後の文頭に「の」を用いるパターンが頻出しますが、これはメタ・フィジカルな世界をイメージの明瞭さを保ったまま表現する試み、といえるかもしれません。
例えば


の三角
の馬
のパラソル

本来は前後と繋がっているはずの助詞「の」が、改行によってある種断絶されています。やや乱暴な言い方をすると、この断絶により、単語のイメージ(≠意味)が保たれたまま「~の…」という内包が強調されます。(※)
肝要なのは、イメージが保たれたままだという事です。これが

白の三角の馬のパラソル

となると、区切りが分かりづらく、イメージの輪郭もぼやけてしまいます。
読点を用いたとしても、助詞の手前で使わない限り形而上的な感覚は変わってしまうでしょうし、手前で使ったとしても改行の効果には及ばないでしょう。

さて、ここから『ELEGIA』の話になります。
『単調な空間』と最も近い感覚で詩が書かれているのは、終曲の『5. ソルシコス的夜』です。

~~~

雨の街では
夜はすべてのガラスである

口紅で
彩色された
たとえば君
の透明なジェラシィ

または
シャボンの円錐
の上
の金髪の月など

夢は
翼あるガラス
である

遠い
夜の空に
きらめいてる
ガラスの旗のように

純粋
のエスプリ
の結晶
の石竹いろの

アヴェニュをよぎつていく
永遠的なシルゥエット

ひとたばの

のなかに
消えていく
手袋など

いつぽんの針
のなかの風
のように
すべての声は
とつぜんに
ちぎれていく

                     詩集「真昼のレモン」より
~~~
後編へ続く)


-定期演奏会情報-
12/24(日) 第55回記念定期演奏会 @神戸文化ホール大ホール
詳しい情報・チケットのお申込みはこちら!

-過去の演奏が聴けるようになりました-
第53回定期演奏会の第1ステージ(平行世界、飛行ねこの沈黙)
第54回定期演奏会の第3ステージ(嫁ぐ娘に)
の演奏がYouTube上で聴けるようになりました!ぜひどうそ!

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